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埼玉県行田市・葬儀社の会員制度|終活クラブファミールの”活き活き会員”さんをご紹介!

2022年2月17日

終活クラブファミールの会員さんには、活き活きとした会員さんが多くいらっしゃいます!今回は、活き活き会員さんを実際にご取材した記事を一気にご紹介していきます。気になった記事に飛んで、じっくりと見てみてくださいね!

目次

千古の恋。行田に古代ロマンを求めて|田代敬二さん

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行田生まれ、行田育ちの田代敬二さんは昭和7年生まれの現在84歳。行田進修館高校(旧行田高校)を卒業後、布団店を営みながら行田のまちづくりに積極的に取り組まれ、行田商工会議所で30年間の議員活動や、第4代行田青年会議所理事長を勤められるなど公職を歴任。故郷行田の町の活性化に貢献し、たくさんの方に影響を与えてきた、まさに「街の名士」です。

 

今から30年前の1988年、政府が各市町村に対し地域復興の為に一億円が交付された「ふるさと創生一億円事業」。行田市では、市の花となった古代蓮(行田蓮)をシンボルとする公園「古代蓮の里」の発案や、さきたま地区の住民が主体となって運営されている「さきたま火祭り」の事業にも田代さんは大きく関わっていらっしゃいます。

 

26年前には、「戦後失われた日本人の美質」「勤勉・正直・親切・謙虚・素直・感謝といった徳目」の作興を目指して「進脩塾」を創設され、毎月一回、現在二百回を超える回数の講座を開かれています。

 

平成28年2月13日付の埼玉新聞には、田代さんが作詞をなさった行田を舞台にした歌「紅津子千古の恋」についての記事が掲載されていました。

 

続きはこちら→活き活き会員さん01|千古の恋。行田に古代ロマンを求めて〜田代敬二さん〜

 

民話を語り伝えて、行田の魅力を未来へ|永島健雄さん

昭和15年生まれで、現在76歳の永島さん。三共石油有限会社代表取締役として会社を経営される傍らで、「行田青年会議所」理事長〈第13代)や、「行田ロータリークラブ」会長(第30代)などの要職も歴任して来られた永島さん。行田の歴史については特に造詣(ぞうけい)が深く、永島さんの「ライフワーク」となっています。

 

歴史の知識を街づくりに活かす活動をコツコツと続けて来られた永島さん。その熱意に周囲も動かされ、近年「のぼうの城」の公開等で注目が高まったこともあり、徐々に実を結びつつあります。最近では、市内各所の史跡に設置されている石碑の説明文などがQRコードを使って見ることが出来る「行田歴史モバイル」が話題に。市内を訪れた城巡り、史跡巡りの人々に広く利用され、行田観光の便利ツールとなっています。

 

「こんなに歴史豊かな街のことを、住民である市民の人に、もっと興味を持ってほしい!」そんな熱意が形となったのが「市民大学」。今年で8期目を迎えます。また、2011年からは、忍の行田の「昔ばなし」語り部の会を主宰されています。古来より人の住まう所に民話あり――日本三大古墳群のひとつ「埼玉古墳群」と、関東七名城のひとつに数えられる「忍城」を擁する我が行田市。数多くの伝説・史話が存在します。

 

続きはこちら→活き活き会員さん02|民話を語り伝えて、行田の魅力を未来へ〜永島健雄さん〜

 

まだまだ青春!音楽活動に励む|藤野寿一さん

今回、ご紹介させていただく藤野寿一さんは、城南に「サイクルドクターふじの」という、お店を構える街の自転車屋さん。しかし、それはあくまでも「表」の顔。今回は、そんな藤野さんの「裏?」の意外な一面に迫ります。

 

実は、藤野さんのお仲間達とアマチュアバンドを組み音楽活動をされています。活躍の場は、「さきたま火祭り」や「浮き城まつり」のステージなどみなさんにもお馴染みの場所ばかり。そんな藤野さんの音楽との出会いは、忍中に通う中学3年生の頃。
その時の担任の先生から放課後に教室で手ほどきを受けたそうです。当時は、ナイロンの弦が張られたクラシック・ギターを使用していました。

 

高校に入ると、その頃人気絶頂期を迎えていた「ザ・タイガース」や「ザ・スパイダース」などに刺激され、文化祭などで金属の弦のエレキ・ギターを使用してのバンドで活躍。社会人になってからは、フォーク・ギターでの弾き語りなど、その時代時代の影響を受けて音楽のスタイルも変化してきたそうです。

 

続きはこちら→活き活き会員さん03|まだまだ青春!音楽活動に励む〜藤野寿一さん〜

 

歌をとおして仲間づくり!|根津菊夫さん

皆さんはどの様な場面で「唄」を歌いますか?人前で歌うのはどうも苦手という人もいれば、学生時代から合唱をしているから人前でも苦にならないという人もいるでしょう。歌うのが好きな人も聞くのが専門という人も、「唄」と接する機会で最も多いのは「カラオケ」を通してではないでしょうか?

 

今回、ご紹介する根津菊夫さんは、持田公民館の活動である「持田カラオケ愛好会」の会長をされています。会の歴史は永く、発足は持田公民館の開館と同時で37年目を迎えるそうです。根津さんは行田に越して来られてすぐに入部されたそうです。新しい土地に居を構え、一刻も早く地域に溶け込みたい。そんな強い想いが入部のきっかけだったと言います。

 

世界で初めて「カラオケ」の機材が発売されたのが1970年頃とされているので、発足した時期は一般的に「カラオケ」が認知された頃かも知れません。カラオケ=空(から)のオーケストラ(演奏)と言うのは今更、書く程の事ではないですネ・・・。

 

続きはこちら→活き活き会員さん04|歌をとおして仲間づくり!〜根津菊夫さん〜

 

諦めかけた症状を官足法で改善させる|大谷恵子さん

皆さんは『官足法』と言う健康法をご存知でしょうか?今回、ご紹介させていただく大谷恵子さんはこの『官足法』の技術を習得し、その指導員として一般の方々に普及させる活動をされています。そもそも『官足法』とは、台湾の官有謀さんと言う方が研究・実践してこられたひとりで出来る足もみ健康法で、日本に紹介されたのは昭和57年です。

 

それ以来、マスコミ等で紹介されて注目を集め、昭和61年に発刊された著書は増刷を重ねて170万部を超えるベストセラーとなっています。その基本理念は徹底的な足もみ!「官足棒」と呼ばれる10センチ程の木製の棒で主に足裏にあるツボ(反射区)をグリグリと揉みほぐします。「官足棒」の通称はなんと《グリグリ棒》!

 

今回は当社の女性スタッフのKと取材(プチセミナー)に同行したのですが、(指導を受けるのはK)筆者もほんの少し体験する事が出来ました。と言っても、「ウォークマット」と言う凹凸の付いたマットの上に立つだけなのですが、その「だけ」が辛くて出来ない…。確かに最近、少しだけ増えた体重がかかるのも理由のひとつでしょうが、思わず笑ってしまう程、とにかく痛い!

 

続きはこちら→活き活き会員さん05|諦めかけた症状を官足法で改善させる〜大谷恵子さん〜

 

老舗鰻屋の6代目が、行田の自然環境を守る!|橋本恭一さん

皆さんは今年の春、どこで「桜」を眺めたでしょうか?行田市内にもたくさんの桜の名所があります。忍城址・水城公園・武蔵水路沿いと挙げだしたらキリがありません。実は今、この桜がもう観れなくなるかも知れない《危機》が迫っているのをご存知でしょうか?

 

今回、ご紹介させて頂く橋本恭一さんは、いち早くこの問題に取り組んで来られました。橋本さんは文久二年創業の割烹 魚豊の六代目 行田でも老舗のうなぎ屋さんのご主人です。その傍ら、「行田青年会議所」や「行田さくらロータリークラブ」などの社会貢献活動も続けてこられました。その中でもライフワーク的なテーマが行田市内の自然環境の保護・保全に関する活動と言えるでしょう。

 

昔から、山歩きなどの趣味を通して自然と親しんできた橋本さんですが、特に力を入れるきっかけとなったのは、子育てだったと言います。当時は空前のアウトドアブーム。冬はスキー、夏はオートキャンプと言う時代です。お子さんと野山を歩いた際、草花や野鳥、昆虫の名前を聞かれたら、すぐに教えてあげられる親になりたいと、猛勉強されたとか…。

 

続きはこちら→活き活き会員さん06|老舗鰻屋の6代目が、行田の自然環境を守る!|橋本恭一さん

 

愛ある詩画で人々を癒す|野辺修二さん

今回、ご紹介させていただく野辺修二さんは、野辺大稀(ひろき)という雅号で「詩画」の創作活動に取り組んでおられます。精力的に個展を開催しているその素顔に迫ります。

 

「詩画」というのは、詩文などの文字と絵画を組み合わせた芸術作品の事です。野辺さんは四十三歳の時、奥様をガンで失いました。幼い娘さんと厳しい現実にさらされ、ご自身を責め続けた野辺さんの生活は荒れ、自暴自棄になりかけたと言います。そんな中、自分自身を見失わないよう、その時の感情や奥様への想い、ご自身の心の叫びをノートに書き留めるようになったそうです。やがて野辺さんは、この長く暗いトンネルを抜けるのですが、今までの人生で一番辛い数年間であったと振り返ります。

 

立ち直った野辺さんは、これまで趣味程度であった絵と、その時に培った想いを綴ったノートを基に「詩画」の創作に没頭します。その活動の根にあるのは、ご自身と同様の体験をしてなかなか立ち直るきっかけがつかめない方々への「エール」。共にした辛い経験を共有、共感して語り合い、少しでも軽減してあげられたら…とそんな想いを込めて作品を描かれたそうです。

 

続きはこちら→活き活き会員さん07|愛ある詩画で人々を癒す〜野辺修二さん〜

 

人は人によって人となる!ボランティア活動に励む|相原香保留さん

今回、紹介させていただく相原 香保留さんは、とても多種多彩な経歴をお持ちの方。ほんの一部分の紹介となる事をお許し下さい。昭和30年に現在の鴻巣市からご主人の相原 幸さん(平成22年逝去)に嫁がれ、行田での生活をスタートさせた相原さん。その頃、ご主人は「相原銃砲火薬店」は開業しておらず、実家の「相原モータース」で全盛期を迎えたオートバイやオート三輪車の修理や整備に腕を振るっていたそうです。

 

その当時の相原家の総勢、なんと15人!相原さんはひとりで衣食住のお世話に明け暮れ、特に悩まされたのは洗濯だったとか。洗濯機や高性能の粉末洗剤など無い時代。「油汚れのひどい作業着の洗濯は特につらかった」と苦労話なのに笑みを浮かべ懐かしそうに語ります。

 

洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビが「3種の神器」として憧れの的となるのは、まだ先のはなしです。そんなご苦労が永く続きましたが、昭和43年、「相原銃砲火薬店」として独立し、向町に居を構えます。

 

続きはこちら→活き活き会員さん08|人は人によって人となる!ボランティア活動に励む〜相原香保留さん〜

 

フラワー教室を通して創る楽しさ、喜びを伝える|田代 都さん

今回、ご紹介させていただく田代都さんは、ご主人の弘さんと八幡町通りで寝具店を切り盛りする傍ら、店内のスペースを利用して『フラワークラフト教室』を主宰されています。花材となるお花は主に三種類に分類されます。
  • (日)《アーティフィシャルフラワー》=ポリエステル・ナイロン・綿・シルクなどの布とプラスチック・ビニール・ワイヤーなどを組み合わせた100%人工素材を使用したいわゆる造花。
  • (月)《プリザーブドフラワー》=生花や葉を特殊液で脱色後、着色しその後、乾燥させたもの。
  • (火)《ドライフラワー》=自然の花・葉・茎などを乾燥させたもの。

 

田代さんのお話では、その時の流行りもあるそうですが、最近はプリザーブドフラワーが主流になっているそうです。以前から生け花の師範の資格をお持ちだった田代さんですが、平成18年3月に日本フラワー技芸協会から、クラフトデザイン講師一級に認定され、ハーブ&DFクラフト教室「彩花舎」を立ち上げられました。多数の生徒さんを抱え順調に運営されて来た田代さんですが、近年はより小規模な教室に活動の主軸を移しつつあります。

 

続きはこちら→活き活き会員さん09|フラワー教室を通して創る楽しさ、喜びを伝える〜田代 都さん〜

 

ハーモニカの調べで元気をお届けする|牛膓和子さん

ハーモニカの演奏をしているのは、持田在住の牛膓和子さん。ハーモニカの演奏を始めたのは、今から13年前。 持田クラブに参加したのがきっかけだったそうです。ハーモニカに触るのは小学生以来。とても新鮮で、練習にも熱が入りました。新しい曲を覚えていくうちに、ボランティアで演奏をしてくれないかと依頼がありました。

 

ジャンルは、童謡・主に昭和歌謡で、「りんごの唄」、「青い山脈」、「月がとっても青いから」などなど。聴いてる皆さんも一緒に口ずさんだり、手拍子したり。会場が一つになっても盛り上がります。 「皆さんから『この曲できる?』とリクエストをいただくと、帰ってすぐに練習を始めます。皆さんの大切な思い出を、心を込めて演奏させていただきます。そんな和やかなキャッチボールの時間がやりがいです。」

 

活動はどんどん広がり、現在はいきいきサロンや老人会、デイサービスでの演奏会と様々。毎年桜の咲く頃、妻沼聖天山で「ハーモニカ宅急便」と題して参加してます。

 

続きはこちら→活き活き会員さん10|ハーモニカの調べで元気をお届けする〜牛膓和子さん〜

 

カルチャーショップを運営!スピリチュアルワーカー|海老澤和美さん

今回、ご紹介させていただく〈Vie teller武良咲 ~ヴィー・テラーむらさき~〉こと海老澤和美さんのご職業はスピリチュアルワーカー。厳密に言うと意味が違ってしまうかも知れませんが「占い師」と言った方がわかり易いでしょうか? ヴィー・テラーは「人生案内人」と訳すそうです。海老澤さんは曾祖母にあたる方が「尼」の修行をしていた血筋柄か幼い頃から霊感が強く、この仕事に就いたのもごく自然な流れだったと言います。

 

最初は〈タロット〉に出逢い、後に神道教師も取得し、〈マヤ暦〉なども修得したそうです。普段は電話予約を受け、出張でセッション(鑑定)を行なっているそうです。また、熊谷市本町にある「シェアカフェ☆エイエイオー」というプレイスで、毎週金曜日に自らが主宰するお店を出店されています。この「シェアカフェ」というシステムは月・年単位で店舗を出すのではなく、一日単位での出店が可能となります。

 

最近、流行の〈ワークショップ〉や地域の会合・将来、出店を考えている人の「腕試し」の場として利用されることも多いようです。他県では空き家になった店舗を日・週単位で貸し出して「町おこし」に繋げている地域もあるようですが、まだまだ県北では珍しい存在ではないでしょうか?

 

続きはこちら→活き活き会員さん11|カルチャーショップを運営!スピリチュアルワーカー〜海老澤和美さん〜

 

行田のセールスマン!ゼリーフライで町興しをする|松井秀二郎さん

今から30数年も前の話ですが〈ぴあ〉という情報誌の、とある記事の中で「埼玉県某市においては、フライはフライであってフライにあらず。」との一文で始まる記事を読んだ記憶があります。 生まれも育ちも行田の人であれば何の不思議もありませんが、果たしてどれだけの人が正確にその内容を理解できたでしょうか?

 

その中で、一般的なフライと共にゼリーフライについても紹介されていました。その当時は、テレビでも今ほど地方の食文化を特集する番組も無く、行田の食文化を発信すると言う意味では貴重だったのでは?と思います。(と言っても某市との表現で行田という文言は出て来ないのですが…。)

 

現在では、インターネットの普及や多数の情報番組等で地方の食文化(ご当地グルメ)が脚光を浴びる機会も多くなりました。今回、ご紹介させていただく松井秀二郎さんは、 「行田ゼリーフライ研究会」(※以後、「ゼリ研」)を主宰され、ゼリーフライという行田の食文化の全国への発信に尽力されています。

 

 

地域に浸透した「ラグビー」の灯をともし続ける|大村真彦さん

今回、ご紹介させていただく大村真彦さんは2017年6月に「行田OsIiラグビーフットボールクラブ」というラグビーの団体を創設され、参加している幼児や小・中学生達にラグビーの素晴らしさを伝えていらっしゃいます。大村さんとラグビーの出会いは、大村さんが高校に入学と同時。当時、県内でも強豪とされていた〈埼玉県立行田工業高等学校〉だったと言います。

 

大村さんは、高校在学中に埼玉県選抜チームの〈スタンドオフ〉として鳥取国体に参加。チームは見事、全国制覇を果たしています。そのラグビーの名門、行田工業高校も高校の統廃合により2006年(平成18年)に姿を消してしまいました…。閉校後、しばらくして地元の有志の間からの「地域に浸透したラグビーの灯を消してしまうのは、あまりに忍びない…」という声や、お隣の熊谷市も会場として使用される「ラグビーワールドカップ2019」の開催決定なども後押しとなり、クラブの設立に至ったそうです。

 

現在、クラブは小学生を中心に30名ほどが将来のラガーマンを目指してコーチ10名と共に活動中。春と秋に行われる大会に向け、練習に励んでいます。大会には県内で30チームほどが参加しているそうです。取材日の空模様はあいにくの雨…。それでも子供たちは一向に練習を止めようとはしません。皆、とても楽しそう。コーチの方々もズブ濡れになりながら指導を続けます。

 

水彩画・ガラス画の創作に取り組む|江森明人さん

江森明人さんはご自身の永年の趣味として、水彩画・ガラス画の創作に取り組んでおられます。江森さんが生まれたのは、1943年(昭和18年)。幼少の頃から絵を描くのがお好きだったそうですが、何しろ物資の無い時代。画材ひとつ手に入れるのも苦労だったと言います。当時、江森さんの生家の近くに、鈴木博尊画伯と言う洋画家の先生が住んでおられて、江森さんはその先生のもとで絵の手ほどきを受けたそうです。

 

明治生まれで気骨のある方で、月謝を取ってという事ではなく、純粋に絵の基本を教えてくれたそうです。江森さんにとっては唯一無二の絵の「師」であるそうです。 その後、絵を志して上京しますが、戦後の復興期とは言え、絵画で生計を立てることは難しく、絵の世界から遠ざかった日々が続いたそうです。江森さんが再び創作活動を始めたのは、昭和30年代になってから。展覧会での入選や個展・グループ展など活発な活動を継続して来られました。居を行田に移してからは、生活の傍ら絵を楽しまれ、足袋蔵ギャラリー「門―かど―」等で定期的に個展を展開しておられます。

 

江森さんの作品は水彩画とガラス画で構成されています。水彩画と言っても、その作品は驚くほど写実的。緻密に忠実に描かれています。それは写真と見間違えるほど。拝見したのは去年の11月末に行われた個展でしたが、行田市内の風景や蔵・洋館などが題材で、とても身近で親しみが感じられました。また、ガラス画はガラスの裏面からアクリル絵具や不透明水彩絵具を使って絵を描き表面から鑑賞します。ガラス画は水彩画に比べて小ぶりである事が多く、額を含めてひとつの作品となります。

 

地域に、人々に、居場所を提供し続ける|社会福祉士・神尾まり子さん

今回ご紹介する活き活き会員さんは社会福祉士の神尾まり子さんです。社会福祉の世界に出会ったきっかけから、現在の活動までお話してくださいました。

 

神尾さんが社会福祉の世界に出会ったのは、2000年(当時37歳)だったと言います。当時、アルバイト先の会社がヘルパー事業を立ち上げたそうです。その際に、神尾さんはこれまでの生活の中で、経験した「結婚」や「子育て」など、全てを含めて繋げることができるかもしれないと思い研修に参加。平日は事務のアルバイトをし、土日は訪問介護員2級・1級の研修を受講する多忙な日々が始まります。それからというもの、神尾さんは社会福祉の道をコツコツと、そして力強く進んでいきます。

 

大学では、1ヶ月に3本のレポートを作成し、翌月にはテスト。大学院では、寝る間を惜しんで論文を書き上げるというハードスケジュールをこなしてこられました。

 

なぜストイックに勉強を続けられたのか伺うと、「自分の不十分さに苦しんでいたから」という意外な言葉が返ってきました。神尾さんは、高校卒業後に山形から埼玉に出てこられて、結婚・出産を経験。その後、専業主婦として日々家庭を守る立場になります。当時は、仕事を辞めたことで社会との隔たりを感じ、迷子になっていたそうです。何をやってもうまくいかなかったり、自信が持てなかったりと心が乾いていたと言います。社会福祉の勉強を進めていくうちに、「人の役に立てる」と感じることがいくつもあり、それらが私を引っ張っていってくれたと言います。それは、まるで「自己肯定感を高める旅だった」と表現しています。

 

続きはこちら→活き活き会員さん15|地域に、人々に、居場所を提供し続ける社会福祉士の神尾まり子さん

 

人生を創造的に楽しむことが元気の秘訣|吉田キヌさん

今回、ご紹介するキヌさんはなんと一九二八年(昭和三年)生まれの九十四歳!日々、素敵なバッグやカード入れなど雑貨類を作っています。

 

物心がついた頃から、「作ること」が大好きだったキヌさん。小学生の頃には、刺繍の座布団を作って金賞を取るなど、手先の器用さは天性のものでした。物資がなかった時代を生き抜いてきたキヌさんは、素材を様々な姿へと変身させるのが得意!現在は、その才能を生かしてバッグやカード入れなど雑貨類を作っています。

 

それらを作り始めたきっかけは、七十五歳の頃に出会った「接着芯」だったと言います。当時、使わなくなってしまったスカーフの使い道に悩んでいたところ、閉店する洋服屋さんから「接着芯」や「小物」を頂いたそうです。そこで、バッグを作ってみよう!と思い立ち、すぐに作品を作り始めました。

 

続きはこちら→活き活き会員さん16|人生を創造的に楽しむことが元気の秘訣〜吉田 キヌさん〜

 

みんなに元気を与える街の体操の先生|若山澄恵さん

若山さんが初めて人に教えたのは、小学生の頃。遊びの中で、友達にバレエを教え、ワクワクしたのを覚えているそうです。教えることが好きだったことから、その後、幼児体育教室の先生として就職。当時は、一日中教場を飛び回る日々を送っていたいといいます。そんな中、仕事の合間を縫いながら、数々の講座を受講し、資格を取得したというのだから驚きます。

 

現在は、経験と知識を活かし、行田市内で多数の教室を持つ若山さん。未就園児の親子体操・幼児や小学生の器械体操・ミドルシニアやシニアの健康体操と、年齢層幅広く1歳〜91歳過ぎの方々を教えているそう。ミドルシニアやシニアの健康体操では、1時間半の中で、座りながらの全身ストレッチ・片腰足等の体操・脳トレーニングを行っています。教室に集まる方々の体調はそれぞれなので、皆さんの具合をみて、内容を変えているそうです。痛みの部分や度合いは、本人しか分からない為、様子を見ながら言葉がけを行うように配慮しているといいます。また、足が痛い方は椅子に座ってできる範囲で体操をしてもらうなど、無理なく通える教室を意識しているそうです。

 

実は今回、若山さんがお持ちの教室を1つ受講させていただいたのですが、レッスン中のちょっとした世間話や皆さんへの気遣いが心温まるものばかりでした。若山さんの明るくユーモアのある人柄が、心も体も元気にしてくれます。

 

続きはこちらから→活き活き会員さん17|みんなに元気を与える街の体操の先生

 

元気な脳の健康、維持のために、感情を動かし続けたい!|安田良美さん

今回ご紹介する安田良美さんは、介護福祉士・日本心理療法協会アートセラピーインストラクター・ブレイン(脳)マネージャー・音楽脳トレ(音楽療法)・笑いヨガインストラクター・認知症予防ゲームリーダーなど多くの資格を持ち、それらの知識を活かしてボランティア活動をする中、令和2年9月より『脳ING だんだんをスタートさせました。

 

『脳ING だんだん』では、①脳に特化した様々なプログラム「脳いきいき教室」事業②その方にとっての幸せな生き方を支える介護事業初の「ハートマネージャー」事業③地域コミュニティ事業「貸スペースだんだん家」などをやられています。

 

今回、取材時に『脳ING だんだん』で行われている「3色パステルアート」を体験してきました。「3色パステルアート」とは、心理学・脳科学から生まれた日本初のアートセラピー(芸術療法)だそうです。赤・黄・青の3色のパステルだけを使い、独自の技法で五感と右脳を刺激しながら作品を描いていきます。絵画教室とは違い、絵にはレシピがあるため、絵が苦手な方でも安心して簡単に描けるのが特徴です。絵が苦手だと思っていた私でも、楽しく簡単に、描くことができました。一度絵を描き始めると夢中になり、時間があっという間に過ぎていきます。この時間を忘れて楽しんでいる状態が、脳が活性化している時!だそう。(脳は楽しいこと、未知の体験が大好き!)

 

続きはこちら→活き活き会員さん18|元気な脳の健康、維持のために、感情を動かし続けたい!

 

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